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子供のSOS 期待する母親と期待を表に出さなかった父親 子供が救われるのは後者

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幼少期~10代、
1番親の影響を受ける多感な時期。

私の母親は結果を重視する人で
父親は過程を見る人でした。

この2人は
子供にかける言葉が全くもって違っていました。

子供が救われるのは、後者。

私は父親のお陰で、自分の力で立てるようになったのです。

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自分以上のレベルを子供に求めた母親

私の母親はプライドが高い人です。

小さい頃から運動も音楽も得意
勉強もでき、市内トップの高校を卒業し
志望した大学に入り国家資格をとり
そこそこ大きい家に嫁ぎ
自分で稼いでいます。

勝ち組とでも言うのでしょうか。

こんな経歴の人なので
3人の子供への期待も大きかったわけです。

母親は理系なので
小学校の算数で44点を取った私を
思いっきり叱りました。

本当に私の子・・!?とでも言いたそうな顔で
愕然としていましたね。

私は運動と美術が大好きで
リレーでは男子に負けずアンカーを務め
選抜のリレー大会には必ず出場していました。

子供ながらに
「運動得意だからいいじゃん」
と思っていましたが
やはり勉強を重視する母親を見て
「勉強しなきゃ大変なことになるな・・」
とも感じていました。

それからあまり勉強が好きじゃなかった私は
成績優秀な兄のようにならなきゃいけないと
私なりに頑張りました。

そして、大学受験に落ちた時
母親からは特別な言葉はありませんでした。

次の行動しか頭にないのです。

「予備校の資料もらってきたから」
「寮に入ればなんとかなるでしょ」

バイトするとか、働くとか、そういう選択肢は無く
「浪人して良い大学に入る」道だけしか許さなかったのです。

子供のありのままを認めた父親

予備校も決まり寮も決まり
もうすぐ東京に行く日が近付いてきたある日、

偶然、父親と2人で車に乗る機会がありました。

その時、これまで何も口出ししてこなかった父親が
こう言いました。

「高校生活、友達いっぱいで楽しかったようだね。
いいじゃないか、楽しかったんなら。それでいい」

それでいい。

私は泣きそうになりました。

確かに部活はキツかったですが
ありがたいことに、たくさんの友達に恵まれて
毎日ふざけ合い、楽しい毎日を送りました。
家に帰れば親に友達の話ばかりしていたくらいです。

父親も
スポーツ万能・成績優秀
国立大卒で大手企業に入っています。

子供に期待してないわけがありません。

でも「それを表に出すのは母さんだけで十分」
と感じ取ってくれていました。

「本人が1番辛い」
それをよくわかってくれていました。

娘なりに頑張ったこと
それ以上にかけがえのない友達に恵まれたこと
それを肯定してくれました。

兄も妹も勉強ができます。

でも
私が1番友達が多い、
この子はこういう子、
勉強が全てではない、
と「私という人」を認めてくれました。

父親の一言で
「ああ、私はこれでいい・・・」
何度もそう思えました。

母親だけだったら
私は立ち直ることはできませんでした。

「それでいい」
この言葉に救われたのです。

親自身が「期待」の虚しさに気付く

私の兄は現在フリーターです。
国家資格を勉強し続けています。
もう何度も落ちています。

両親は、あれだけ期待した長男が現在無職であることに
無気力さと焦燥感・・何とも言えない気持ちでいるわけです。

かたや私の旦那は
社会的地位や世間体など全く気にしない人で
自分で事業を起こし好きなことを好きにやって生きています。

有名な会社に入らなくたって
世間から褒められる職業じゃなくたって
本人が好きで充実している、それ以上のことはないわけです。

母親は私達を見て
「好きなことするのが、1番ね・・」
「息子(兄)は本当は何がしたいのか・・どうしたらいいのかな」
と、あのプライドの高い母親が
劣等生の私なんかに聞くのです。

母親本人も感じているのです。
自分の理想が叶わなかった時の虚しさと
母親なのに子供のことがわからない虚しさを。

社会的に立派、
これも立派なことです。

でも本人ではなく親が勝手に望むことなら
それは限りなく無意味なことです。

両親は今では
兄に期待するようなことは言わなくなりました。

さいごに

仕事ができ、常に野心に溢れていてパワフルな母親を
私は尊敬しています。

そして寡黙だけど思いやりがあり穏やかな父親を
心からこの人が父親でよかったと思っています。

親のどちらかだけでもいい。

子供を認める役割の人が必要です。

必ず必要です。

自分が結果を重視する傾向にあるなら
「過程」を認める役割はパートナーにしてもらいましょう。

親にも短所があって当然。
それをパートナーが補えばいい。

子供は認めてもらえれば
かろうじて自分の足で立ち、次に進もうとします。

どちらかだけでもいい。
2人ともなら、もっといい。

「期待」はどこかに置いて
「認める」を始めるべきではないでしょうか。

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