虐待、暴力、幼い子の死・・
連日ニュースを目にします。
親になって思うことがあります。
子供って何のために生まれてくるのか、と。
他人の事情はわからない
先日、市から息子の3歳児検診の問診表が届きました。
そこには
「育てにくいと感じますか?」
「その理由は?」
などと書かれていました。
はて。
これに対して正直に書く親はどのくらいいるのだろうか?
と私は疑問に思いました。
実際に暴力、虐待している親、
もしくはそうでなくても
こういうアンケートに正直に書ける人は少ないように思います。
書けば、
市・保健師さんからとやかく言われるのはわかっているからです。
他人の家庭の事情を暴くのは簡単ではありません。
お前を殺して、私も死ぬ
『お前を殺して、私も死ぬ』
旦那が幼少期、実の母親から言われた言葉です。
すごい言葉ですよね。
理由は
言うことを聞かないから でした。
旦那は幼少期、日常的に暴力を受けていました。
母親の怒りがピークに達し
「殺す」という言葉が出てきたのです。
しかも彼女は保育士の資格を持っています。
子供が好き、可愛い、というのと
実際に育てるのは違うということがよくわかります。
暴言・暴力・虐待、
現代に限ったことではありません。
いつの時代だってあるし
今後も続くものだろうと思います。
育児のやりがいとは
子供は思った通りに動かないし
イヤイヤ言うし
泣くし
愚図ります。
そのくせ1人で生きていけないのです。
だから保護者が育児を放棄したら
子供は死ぬ危険性があります。
子供をみるって大変です。
仕事と違って報酬も出ない。
親が得るものは子供の成長だけです。
それに対して
喜びを見出せなければ
子供はただのウザい存在です。
ここが難しいところです。
誰もが喜びを見出せるわけではないのです。
育児中は自分を見失う
育児中は息詰まり、
親も自分自身を見失いがちです。
ましてや
子供の成長に喜びを感じない
望まない妊娠
経済的に育てられない
などの理由があれば尚更です。
旦那の母親もそうだったに違いありません。
当時、何を言っても誰からどんなアドバイスを受けても
うるさい!と思ったでしょう。
その時は、いっぱいいっぱいです。
虐待してる本人も悪いなんて思ってないんです。
そうするしかない。
方法が無い。
自分自身も限界。
旦那の母親は今、
孫をたいへん可愛がっている祖母です。
至って、普通の人に見えます。
昔、暴力をしていたなんて想像がつきません。
こんなもんです。
その時が過ぎれば、我に返る。
育児中は視野も狭く
物事を正しく判断できない時期とも言えます。
自分自身も不安定なら
子供と向き合う余裕なんてありません。
どんな親でも子にとっては絶対的存在
旦那は暴力を受けていましたが
それを祖父母に言うことはなかったそうです。
保育園や学校の先生にもです。
なぜなら
口止めされていたからです。
言えばどうなるかわかってるな、と。
だから誰かに言う気にもならないし
言っても解決しないと思い込んでいたのです。
小さい子供にとって、親は絶対的な存在です。
それがどんな親でも
その人にすがりつくしかないのです。
子供とは本当に無力なものです。
自分は今、生きている
息子がイヤイヤ期の時、
私もイライラがピークになりました。
毎日毎日・・こんの野郎・・・
と。
私の友人は
「子供を殺してしまいそう」
「本当に信じられない暴言を吐いてる」
と私に言いました。
私はふと、自分の母親のことを思い出しました。
あの人は私を殺さなかったな
暴力を振るわなかったな
感情で解決しなかったな
私は今も健康で生きてるな。
それに対して
何とも言えない感情が込み上げてきました。
私も無力な子供だった。
でもこんなに大きくしてもらった。
あの人すげぇ・・と。
モンスターの息子を前にして、そんなことを思ったんです。
虐待は必ずしも連鎖しない
虐待は連鎖すると言いますが
旦那は違います。
暴力を受けた子は
一生、心から親を信頼することはないこと
一生、本当の意味で親に心は開かないこと
それを知ってるので
自分と同じ思いを自分の子供にはさせたくないのです。
なぜ彼はこう思えるのでしょうか?
それは
家を離れ
様々な経験をし
様々な人・世界に触れて
過去から解放されたからです。
当時のことを客観視できるからです。
だからこそ今も親と普通に接します。
●他の環境・人に触れたこと
この2つが彼にとって良かったのです。
これは、ある程度成長していれば可能なことですが
幼少期では無理です。
それが歯がゆい点です。
子供があなたの元に来た意味
親である私達は
子供に暴力しようが
殺そうが
勝手です。
でも
親である私達は
自分が今、生きていること
親がしてくれたこと、
もしくは親にされたかったこと、
それをもう少し深く考える必要があります。
私は子供ができてから
自分の幼少期を鮮明に思い出します。
この頃、私はこんなに絵がうまくなかった。
この頃、こんなに笑っていなかった。
この頃、言いたいことが言えなかった。
お友達と遊ぶってこんな感じだったな。
幼稚園の給食、こうやって友達と食べたな。
幼稚園の時から嫌なことがあったな。
卒園式で親が泣いてたな。
親に上手に伝えられなかったな。
いつも何か不安だったな。
自分がもう1度、幼少期を繰り返しているような感覚です。
子供と一緒にいると
過去の自分のトラウマや嫌だったこと幸せだったこと
その全てと対面していくようです。
私はこうだった・・
こういう自分が嫌いだった・・
子供がいると、子供の世界をもう1度覗くことができます。
そして、いろんなことに気付きます。
その気付きは、いろんなことを紐解いてくれます。
それを1つ1つ自分の中で消化していきます。
子供が小学生、中学生、高校生になれば
もっと強く自分のことを思い出すと思います。
そうやって過去の自分と向き合って
親の気持ちがわかったり
許せたり許せなかったりして
旦那のように過去から解放されていくのだと思います。
そのために子供は生まれてくるのではないでしょうか。
子供に教えてもらっている気がするんです、
「ママはママでいい」と。
子供が自分のもとに来た意味、
子供がいるからこそ見えるもの、
それが何かしらあります。
手をあげる前に
暴言を吐く前に
殺す前に
子供に聞いてみてください。
「あなたはなぜ生まれたのか」
「なぜここにいるのか」と。
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