以前、こちらの記事でお話してくださった住職さん、
⇨家畜と殺生の違い 「買う」と「狩る」の違い
親戚の法事の時しか会わないのですが
旦那が猟をしているという話から
お寺の裏山に猟をしに行くことになり
初めてお寺を訪れました。
そこで、今までの住職さんのイメージが
ガラガラと崩れたのです。
金持ち
小さい頃から
法事、お葬式、お墓参り等でお寺に行く機会がありました。
いくつかのお寺を見て感じていたことは
どこのお寺にも
見事な高級車がとまっているなぁと。
行くお寺行くお寺、みんな高級車。
住職さんだって経営者。
儲けなきゃいけません。
お経を読む
葬式を行う
安くありません。
すげー嫌なヤツですが
そりゃあ儲かるよな、と子供ながらに思ってました。
軽に乗る住職
さて、
お寺の裏山で猟をさせて頂くということで
初めてお寺に伺ったわけですが
車で20分、
寺の近くは小道がいくつかあり、迷ってしまいました。
ナビを見ながら旦那と話していると
何ともいいタイミングで住職さんが車で通りかかってくれました。
住職さん、
軽自動車に乗ってる。
( ̄ー ̄)
ん、何か違う・・・
今までの住職さんのイメージとは全く違っていて
ちょっと驚く私。
いやいやいや、お寺に行けば車庫に高級車があるはず・・・
ない。
もう1台小さい乗用車があるだけ。
でもお寺の本堂は
これまで見たお寺の中で1番立派なもので
使われている木、規模、格別でした。
これまで見てきたお寺さんと少し違う印象を受けました。
極限に質素
「山を案内しますよ」
そう言ってジャンパーと長靴姿で一緒に山に入る住職さん。
山って、ガチの山です。
「ここら辺は春にタラの芽が出てくるので
是非その時にたくさんとりに来てください(´∀`)」
え・・いいんですか(*_*;!?
「ここには山菜が・・・是非とりに来てください(´∀`)」
動物の足跡まで一緒に探し始めてくれる住職さん。
付き合ってもらうのは悪いので
お寺に戻って頂き
私達は勝手に散策させてもらいました。
2時間後、
無事に戻ることができ
住職さんに挨拶に行くと
「ささ、休んでください(´∀`)」
と部屋に通してくれ
熱いお茶まで出してくれました。
山道を歩いた後で服はべちゃべちゃ、泥だらけ、、
これじゃ申し訳ないな、なんて思っていたら
「気にせずコタツに入ってください(´∀`)」
なんて言いやがる。
いや泥まみれでっせ・・
「ここには山から来たおじいさんなんかも来るんですよ。
みなさん汚れて入られますから、全然大丈夫です。
お寺とは誰でも招き入れる場所ですから(´ー`)」
私の中でお寺さんというのは高級なイメージがありました。
お金出さないと入れない、綺麗な身なりをしてないと入れない、という。
この住職さんの家の客間は
コタツとストーブしかなく
畳も古く
昔にタイムスリップしたような質素な部屋でした。
しかもコタツに電気を入れず
ストーブの暖気をコタツに入れて暖めるという
何とも原始的な方法をとっていました(;”∀”)
これまでの住職さんのイメージが崩れていきました。
ギブ&ギブ
暖をとらせて頂きながら
住職さんと狩猟の話で盛り上がっていると、
「是非、イノシシの肉をもって帰ってください(´∀`)」
お寺のご近所に猟師さんがいて、その方がイノシシ肉をくださるそうです。
余ってるからと冷凍肉をもってきてくれました。
「あと、動物を捕まえる罠があるんですが、持っていってください(´∀`)」
(゜゜;)
なんでそんなもん持ってんの・・笑
来年は罠猟もやる予定の旦那。
それを知ってか
野良猫を捕まえるために買ったという罠まで持ってきてくれる住職さん。
「せっかく寺に来てくださったのに、これしかない・・
他にはね・・」
他にも何かくれようとする住職さん。
山に入らせて頂き
肉と罠まで頂き
本当に申し訳なくなり、慌てて帰る支度をしました。
寺の役割
学生時代、日本史を勉強していましたが
「お寺」って
困った人が逃げ込む場所でもあったことを思い出しました。
この住職さんは
お寺に来る人を誰でも受け入れ
与える
分ける
というのを、この何でもある時代にいまだにやっている人でした。
実はこの住職さん
年に1度、山の奥深くに入るそうです。
すると、本当に遭難しかけるそうです。
その時、普段の生活がいかに贅沢なものか痛感するそうです。
山で遭難したら
その辺にあるものを食べるしかない。
その辺にあるもので寝床を作って、その辺で排泄をして・・
そんなことを考えると、今あるモノ全てに心から感謝するようになります。
私も初めて山の中に入り道なき道を歩き
方向を見失い
来た道を戻っても景色が違っていて
同じような道が2つあって間違えたり
そうこうしてるうちに体力が消耗し、帰れるのか不安になり
本気で泣きそうになりました(T▽T)
何も無い。
自然しかない。
どこでイノシシに襲われるかわからない( ̄ー ̄;)
暖房がある。
お風呂に入れる。
そんなことが死ぬほど贅沢に思えてきます。
住職さんは
「畑の菜っ葉を食べて生きていれば、それでいいんですよ(´∀`)」
なんて言う人です。
法事でご馳走が並んでも全く手をつけず
お酒だけ飲んで帰られる人です。
その真意が今、わかる気がします。
『人に与える』
見返りも何も求めず、与え続けて
生きることが成り立っています。
与えられた方は
余っているものをお寺に持っていく。
今はモノがありふれているから
あれもこれも欲しくなりますが
本来、人なんて
「与える連鎖」で最小限の生活ができる
そんなことを痛感させられました。
「いつでもまた遊びにいらして下さい(´∀`)
またお肉を持って帰ってくださいね」
最後までこんなことを言う住職さんに
頭が上がりませんでした。
さいごに
環境を変えてから
不思議と縁あって
「本物」に出会う機会が増えました。
本物のモノ、
本物の食べ物、
本物の人、
その出会いに
私はいつも心から満たされます。
本当のお寺の役割を果たしている住職さん。
与え続けているからこそ
お寺の本堂があれほど見事なんだろうな、と思いました。
いつでも
何度でも
来てください。
そんなことを言ってくださる方は初めてで
何かあった時、この住職さんに相談したいと心から思ったのでした。
さて、次にお寺に行く時は何をもっていこうかなぁと
そんなことが楽しみなんですが
どーでもいいけど
イノシシ肉!!
明日、鍋にしてみようと思います(>▽<)!きゃー楽しみ!!
臭かったらどうしよう~笑
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